カテゴリ:平さんの就活応援ブログ



2020/09/02
勤務先だった新聞社では、この30年余ワープロやパソコンで原稿を打ってきた。もはや手書きで記事を書く記者は皆無である。しかしパソコンで文字を打つようになって漢字を忘れたり間違えたりしがちだ。ワードプロセッサーがセッセと文字を生産してくれるので、人間のあたまがさぼってしまうのである。使わないと筋肉が衰える退行萎縮が脳でも起きる。  衰えないためには鍛えることだ。  そのためには毎日、機械に頼らず字を書くことだ。ボケ防止だけでなく文字を覚えておくためにも手書きの「食べもの日記」は有効なのである。  大学の講義で(ことしはリモートだったが)、黒板に「御社」と書いて、「では、この反対語のヘイシャを漢字で書けますか」と聞く。学生たちに書かせると、まったく思い浮かばない子もいるが、確かこんな字だったなあと書いてみた子の2割ほどが、「幣社」と書く。正解はもちろん「弊社」である。かたちをなんとなく覚えていても、それで正確な字が書けるわけではないのだ。  文字を記憶する脳を退行萎縮させないためには手を使って字を書くことだ。年賀状や暑中見舞い、コロナ禍でご無沙汰している人に手書きの葉書きを出そう。岩田一平
2014/03/14
 ああ、そうだった。先日、Eテレで画家の野見山暁治(のみやま・ぎょうじ)さんの特集を放映していて、思い出した。「作文に色を取り入れろ。そのためには画家の文章を読むとよいよ」。新聞社を目指して文章修業をしていたころ、瀬下師に言われたことばである。35年前のことだ。それで薦められて読んだのが、野見山さんのエッセーだった。おそらく当時ちょうど日本エッセイスト賞を受賞した『四百字のデッサン』だったろう。  瀬下師は、毎日新聞の社会部遊軍、サンデー毎日で、「七色の文体を持つ記者」といわれていた。もうひとつ師がそのころ提唱されたのが、「作文の書き出しをひらがなにしてごらん」。文章全体がやわらかくなるのである。    いま、ペンの森は、マスコミ就活の山場を迎えて、みな必死になってESの文章や作文を書いている。瀬下師に加え、わたしや先にマスコミに就職した先輩たちが添削するわけだが、「題材はいいけど残念な作文」がけっこうある。あふれるほどの思い、書きたいことはいっぱいあるのだけれど伝わらないのである。  「色のある文章」「ひらがなから書き出せ」は小技のようだけれど、文章は伝わらなければ仕方がなく、相手にどう伝えるかの工夫が必要だということだ。サービスといってもよいだろう。ひとりよがりではダメなのである。  野見山さんは東京芸大を卒業して召集され大陸で死線を彷徨う。帰還して画家として大成するのだが、パリで愛妻をガンにより亡くす。その哀惜の思いをエッセーに書き、以後は画業の一方でエッセー集をつぎつぎと発表する。さらに野見山さんは戦死画学生の遺作を収集・展示する「無言館」の設立(1997年)にも奔走した。そして、無言館といえば、瀬下師が学生たちに「ぜひ行きなさい」と薦めている場所なのである。  伝えなければならないという熱い思いと、伝えたいことを正確に相手に伝える技術。瀬下流文章作法の根本だろう。わたしは、まだまだである。(平)
2013/11/22
 そういうわけで、瀬下先生のおかげで朝日新聞に入社し、記者になって2年目のことだ。初任地の鳥取支局で遅めの夏休みがもらえ、皇居のお堀端にある毎日新聞に瀬下先生を訪ねた。先生は『サンデー毎日』のデスク。編集部のある出版局に、約束の時間にのこのこと入っていった。そのころはおおらかで朝日も毎日も、けっこう自由にひとが出入りしていた。勝手知ったる毎日のビルである。  記憶では陽は少し傾いていたと思う。あいさつをし、先生に鳥取土産を渡して、仕事の手がすくのを隅っこの方で待っていた。酒呑みへのお土産なので、粒ウニの瓶詰か、あご竹輪か、豆腐竹輪か、そのあたりだろうが、忘れてしまった。  そのうち、編集部のある広いフロアの私とは反対側の隅っこあたりが、なんだかざわざわしてきたのである。声が聞こえる。「台湾で旅客機が墜落」「日本人は?」「名簿は出たか」……。編集部員がわさわさ動き出した。そのうち、「ムコウダ・クニコ」という情報が飛び出した。部内はさらに騒然としてきた。 「家に電話してみろ」「留守番電話になってる」「『台湾に旅行していて○○日に帰る』って、言っている」…、あああ。どよめきが起こる。  その日、1981年8月22日。作家向田邦子さんは、旅行先で乗り合わせた台北発高雄行き遼東航空機の空中爆発で、南方の空に散華した。享年51。改めて調べてみて、いまのぼくより5歳も若く亡くなったのに驚く。事故の発生は午前10時ころだったというが、ぼくの記憶では、『サンデー毎日』編集部の騒然は午後のような気がする。  いずれにしても、ライバル会社の駆け出し記者は、眼の前で起きている『サンデー毎日』編集部のてんやわんやに呆然としていた。  「じゃあ、行こうか」  どれだけ経ったか、瀬下さんの声がかかり、毎日新聞社ビルの地下にある居酒屋に行ったような気がする。取材記者の手配が済めばデスクの手はしばらく空く。 (平)