【19期・地方紙内定者・DAさん・既卒】

新聞記者になりたいのなら、あきらめないことです。

 

就職活動を振り返ってください。

新聞記者になるために就職活動をした2年6ヶ月、とくにペン森に通うために上京して過ごした1年間は、大学の4年間よりも密度がありました。

地方の大学出身のわたしが上京したのは、地元で知り合ったペン森卒の記者との出会いからでした。同じ大学でもないその先輩は、会ったその日の夜から飲みに誘ってくれ、「きみのESや作文のめんどうは全部おれが見る」とまで言ってくれました。そのひとからペン森の話を聞くにつれ、「東京にはそういう場所があるんだな」とペン森への憧れを募らせていったことが、上京のきっかけです。

ペン森に通い出してからは、作文を書くために、またすこしでも成長するために経験を積もうと多くの現場に足を運びました。某県の山奥の村にある約900メートルの手掘りのトンネルや、毎朝市場に通いながら八百屋をいとなむ高齢夫婦など、先人の苦労の足跡や生活の匂いをたどることで、自分の「幅」が広がっていくことを実感できました。

そうして迎えた今年の春採用の、最後の最後でとある地方紙から内定をもらえました。振り返れば、あきらめなければなんとかなる、の教訓を地でいくような就職活動でした。

 

入塾してよかったことはなんですか?

ひとに恵まれたこと。

仕事終わりにペン森に来る先輩たちは、地元で出会ったペン森卒のひとと同じような多情なひとばかりでした。ペン森で夜遅くまで話が盛り上がると、多くの先輩が「じゃあ燭台(近くのバー)にいくか」と当たり前のように誘ってくれました。グラスを片手にした大人のオトコに挟まれた会話では、人生の肥やしになるようなことをたくさん教えていただきました。「このひとたちと同じ業界ではたらきたい」と思えるひとたちと出会えたことが、ペン森で得たいちばんの収穫でした。

 

ペンの森と酒について、語ってください。

 わたしはあまり飲めませんが、お酒を呑むことでぽろっと本音が出たり、同期の仲間の知らない側面を見られたりと、お酒があるから先輩も集まって来るし、同期とも深い仲を築けるのだと思います。実際、お酒の入った先生や先輩のひとことが思わぬヒントになったことがたくさんありました。

 

瀬下塾長を一言例えて、語ってください。

ペン森という宇宙の太陽?

ペン森に卒業生が集まってくるのは、お酒のちからと先生の人徳のなせるワザです。先生の度量の広さによって、ペン森は成り立っていると思います。先生は、あれをやれ、これをやれ、なんて言ってくれませんが、本気で向かってくる人には必ず応えてくれます。いまにして思うと、先生にほめてもらえるような作文を書こうと頑張っていた部分もありました。自然とそう思えるかたです。

 

就活生へのメッセージ

新聞記者になりたいのなら、あきらめないことです。

どこの会社も面接時間は合計しても40分ほど、就職活動は運の要素も大きいです。でも、新聞社はさいわい何度でも受験できます。2年や3年就職するのが遅れても、それは長い人生のなかのほんの一瞬、すこしくらい遠回りしてもいいと思います。

東京の学生はペン森という恵まれた環境が近くにあって、地元にいたころは羨ましかったです。遠回りの途上で考えたら考えた分、がんばったらがんばった分、自分のちからになると思います。運や縁に負けない実力をつけて、一度きりの人生を後悔しないようにしてください。