題「責任」

 

待ち合わせ場所の浅草・雷門で握手を交わすと、人力車を引いて鍛えられた手の厚みを感じた。岡崎屋惣次郎さん。軽快なべらんめえ節が心地よい惣次郎さんは、股引に半纏姿で人力車を引く傍ら、浅草寺境内の繊細胃腸を語り継ぐ活動をしている。

 

路肩の店から威勢のいい客引きの声が飛ぶ観世音通りから浅草寺のご本堂の前を右に曲がり、二天門前の広場に出た。賑やかな表参道と裏腹に、ここは店もなく閑散としている。「この木、形おかしいでしょ」岡崎屋さんはいびつな形をした一本の銀杏を指差した。

 

1945年3月10日の東京大空襲は浅草一帯を焼き、重要文化財であった浅草寺も境内が全焼した。樹齢600年。国の天然記念物だったこの銀杏の幹は途中で折れ、 木の内部は黒く焦げた。 樹皮は焼かれ、炭になったところを雨が洗い流し、白く滑らかになっていた。水を多く含むこの銀杏は辛うじて焼け残ったが、空襲の大きな爪痕が残った。岡崎屋さんは木の幹を撫でながらつぶやいた。

 

「浅草にも空襲で焼けた歴史がある。それを若い人に教えたかった」岡崎屋さんはこの銀杏があまり公に知られていないことに危機感を感じ、語り部としての活動を始めた。

黒く焦げた部分を触ってみた。炭のざらっとした感触と共に、手に真っ黒な炭がつく。東京大空襲の日にできた墨。その墨は時を越えて、私の手にも確かにこびりついた。焼夷弾が空から雨のように降ってきた当時の様子が想像され、背筋が凍った。

 

「これからは、戦争を知らない世代が戦争を語り継ぐんだ」。銀杏の幹に手をあてながら惣次郎さんが言った。子や孫に戦争の恐怖を味あわせたくないという思いと共に、私たちの世代の責任の重さを感じた。

今日も尚、世界のどこかで戦闘が起き、各兵器の驚異が安全を脅かしている。戦争は過去の出来事ではない。太平洋戦争で多くの犠牲を払い、世界唯一の被爆国にもなった日本は、世界平和を率先して訴える責任があるはずだと私は思う。

 (18期・朝日新聞社内定・SHさん・中央大)