NKH記者職内定者

 

題「戦後70年」

 

 埼玉県熊谷市にあるホンダエアポート。大勢の家族連れや若者が集まっていた。不自然なほどまっすぐに長いか走路からセスナに乗り、澄んだ空へと飛び立っていく。青い空に、ぶーん、ぶーんとセスナの飛ぶ音が響く。ここは笑顔であふれている。平和だ。70年前まで特攻隊の飛行訓練場だった面影は跡形もなく消えている。

 この飛行機で訓練をした特攻隊員の資料が当時の兵舎に飾られている。建立された80年前から手を加えられていない木造の建物は黒ずみ、足を踏み入れると床がきしむ。壁に飾られた、ここで学んだ20数名の特攻隊員の写真。あどけない笑顔で細身の隊員が写っている。なんだ、普通の若者だったのか。凛々しく勇ましい、自衛隊員のような体つきを想像していた私は驚いた。明治に中央、同志社大学。友人が通う大学名が写真の下の学校紹介覧に表記されている。集合写真に写りふざけあう彼らの写真は、友人がSNSに上げる写真と相違ない。違いはモノクロか、カラーか。それだけだ。妙に親近感が沸いたのと同時に、写真の隣に飾られ対処に目をやり、やりきれない気持ちになった。

 「必死必中必殺必滅」。力強いこの文字を書かせた力は、言論統制化、当時の雰囲気か。とにかく、彼の本心ではないだろう。そう思いたかった。

 20代前半は、これからの自分の将来に対し不安と期待で揺れ動く時期だ。そんなときに、国のために死ぬということを納得し理解できたのだろうか。きっと、心の奥底では言葉にできない矛盾を感じていただろう。

70年が経った今、戦争を他人事と捉えている若者は少なくない。事実、大学の戦時史の授業でクラスメイトの学生半数近くは、特攻隊の名前は知りつつも、彼らが爆弾を抱えた飛行機で敵艦に突っ込んで自爆するということを知らなかった。忘れてはならない悲劇を語り継ぐこと。それが今、私たちに求められていることなのではないか。