題「手」

 

 叔母は、埼玉県松山市で百年以上続く麹屋を営んでいる。今年67歳となる叔母はたった1人で麹を作り、販売している。跡継ぎはいない。「金儲けのために麹を作る人に、仕事は渡せない」。そう言って今までに来た若者を突っぱねてきた。典型的な職人気質である。興味本位で訪ねる私も、追い帰されてしまうのではないか。会う前から緊張し、顔がこわばった。

 

 その予想に反し、叔母は私を温かく迎えてくれた。早速自宅の一角にある麹室を見せてもらうことになった。室は大人3人程しか入れない。中へ入ると周りは土壁に囲まれていて、ひんやりとした空気に包まれた。左右には腰の高さまである作業台、正面には神棚が飾られていた。「室で麹を作っている所は、全国で十件もないんだよ」。機械化による変質を嘆きながら、彼女は淡々と米を作業台に乗せた。

 

 麹菌が米に上手く付着するには、室の温度を37度に保ち、少なくとも5,6時間は寝かせなくてはならない。温度を上げるのは、炭だ。現在多くの麹屋では、代わりに電気が使用されている。私は炭割りを手伝った。50センチくらいの斧で、何本も炭を割る。しばらくすると、じんじんと手が痛み始めた。なんて地味で効率の悪い作業だろう。電気にすれば手が真っ黒になることも、温度調節のために2日間も徹夜をする必要もない。

 

 納得が出来ないまま、再び麹菌と米を混ぜる時間がやってきた。米を触ると生暖かく、かすかにべたついた感触が残る。「すごい」。思わず声を漏らした。わずか5時間での大きな変化に、麹菌は「生き物」なのだと強く実感した。「生き物は手を掛けた分だけ、作り手に返してくれるんだよ」。そう言う叔母の横顔は、とても生き生きとしていた。つい効率を優先してしまう私は、手作りの文化を丁寧に守り続ける叔母の職人としての意地を見た気がした。